フィギュアスケートの魅力

男女シングルを中心に、フィギュアスケート界のあらゆる側面、フィギュアスケートの魅力を私の経験を交え語っていきたいと思います。

第2回「勝手にプレイバック・オリンピック」の前に・・・

皆さん、こんばんは。

先日アップした第1回「勝手にプレイバック・オリンピック」、多くの方にアクセス頂きました。
ありがとうございます。
さて、次のプレイバック・オリンピック(アルベールビル)をコメントする前に、1989年~1991年を簡単ではありますが振り返りたいと思います。少々長くなりますが、お時間がある方は、是非どうぞ!

<1989年世界選手権(フランス・パリ)>
カルガリーオリンピック(カナダ)のメダリストが引退し、皆さんがご存じのとおり、伊藤選手は見事トリプルアクセルを成功させ、世界の頂点に立ちました。筆者は今でも鮮明に当時のことを覚えています。

伊藤みどり(1989年世界選手権フリー)


尚、この試合で伊藤選手と今後、メダルを争う選手が世界の舞台に出てきます。クリスティ・ヤマグチ(アメリカ)です。当時の女子シングルでは珍しく5種類のトリプルジャンプを飛ぶことができ、バレエの基礎が備わった芸術性の高い選手で、ジュニアでは世界チャンピオン(女子シングル/ペア)に輝いています。
※ペアは、ルディ・ガリンドー選手と組んでいました。 

クリスティ・ヤマグチ(1989年世界選手権フリー)



<1990年世界選手権(カナダ・ハリファックス)>
この世界選手権において、伊藤選手はパリの世界選手権に引き続き、銀メダル獲得しました。結果論ですが、規定(コンパルソリー)の出遅れが2位という結果になってしまったようです。
尚、クリスティ・ヤマグチは4位、金メダルはアメリカのジル・トレナリーでした。

<補足(採点方法について)>
当時は現行の採点方法と異なり、6点満点方式で、総順位点で争われていました。6点満点方式では、「順位点」という点があり、その順位点が少ない選手がより高い順位となります。尚、技術点と芸術点合計が同点だった場合は、芸術点が高い選手を、ショートプログラムとフリーの合計順位点が同点の場合は、フリーが優先とされていました。この試合、クリスティ・ヤマグチがフリーで2位に入ることが出来れば、伊藤選手の2連覇でした。

伊藤みどり(1990年世界選手権フリー)
 

クリスティ・ヤマグチ(1990年世界選手権フリー)


<1991年世界選手権(ドイツ・ミュンヘン)>
翌年にアルベールビルオリンピックを控えたこの世界選手権、伊藤選手にとっては辛い試合なります。初日のオリジナルプログラムでは6分間練習で、フランス・ユベール選手と激突。また、オリジナルプログラム本番ではジャンプ着氷後、カメラマン席に突入してしまう等、アクシデントが続きました。翌日のフリーでは、前日のアクシデントの影響から、伊藤選手本来の力を発揮することができず4位となります。

尚、この試合では、クリスティ・ヤマグチが優勝、トリプルアクセルを決めたトニア・ハーディングが2位、3位にはナンシー・ケリガンが入り、表彰台アメリカ独占という結果に終わっています。

※本世界選手権より規定(コンパルソリー)が廃止となりました。 

伊藤みどり(1991年世界選手権フリー)


クリスティ・ヤマグチ(1991年世界選手権フリー)


トニア・ハーディング(1991年世界選手権フリー)


ナンシー・ケリガン(1991年世界選手権フリー)


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今では廃止となった規定「コンパルソリー」

こんばんは。

前回の日記(第1回「勝手にプレイバック・オリンピック」)にて、規定「コンパルソリー」のことをコメントしましたが、ご存じではない方もいらっしゃるかと思いますので、簡単ではありますが筆者の経験を交え、ご紹介させて頂きます。

今は競技としてないのですが、現在の競技スケジュールで言うと、ショートプログラムが競技2日目にあたり、そのショートプログラムの前に、初日の競技として開催されていたものになります。

※ 規定「コンパルソリー」は、1990年のシーズンを最後に競技としては廃止されました。
 
筆者のことで恐縮ですが、正直、この「コンパルソリー」が苦手でした
練習自体もジャンプやスピンをするのと比較し、つまらなかったですし。。。
また、この練習に限ったことではないですが、姿勢やフリーレグ(氷がついていない足のこと)の移動の仕方や位置等もよく注意されました。
早朝練習、キズ等のない綺麗な氷の上で、眠い中練習していたことを思い出します。
(別に早朝だけ練習していた訳ではありません。)

半円から始まり(フォアー/バックで、インサイド/アウトサイドで半円を描く)から始まり、次のステップとして八の字が基礎的もので、オリンピックや世界選手権で実施されていたコンパルソリーは、上記基礎的なものではなく、より高度はものになります。

<参考:Ladies' Compulsory Figures, Part1(カルガリーオリンピック)>


<参考:Ladies' Compulsory Figures, Part2(カルガリーオリンピック)>


尚、このコンパルソリーは競技としては廃止となりましたが、コンパルソリーは正確なエッジの乗り位置を身体で覚えさせるため、またエッジコントロールの基礎練習のようなものです。
仮に、現在、このブログをご覧になっている方の中で、フィギュアスケートを習われている方がいらっしゃるのであれば、根気が必要ですが、是非頑張って欲しいと思います。

※お知らせ※
前回の日記(第1回「勝手にプレイバック・オリンピック」)にて、一部の方に誤解をされる表現があった模様です。追ってとなりますが、その誤解されると思われる一部コメントを削除・修正させて頂きます。
予め、ご理解下さい。

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第1回「勝手にプレイバック・オリンピック」

皆さん、こんにちは。
 
前回のコメントしたとおり、第1回「勝手にプレイバック・オリンピック」と称して、過去のオリンピックを日記にしてみたいと思います。

第1回目の今回は「カルメン対決」です。

昔からフィギュアスケートを観戦している方ならご存知かと思いますが、フィギュアスケート界においてこの「カルメン対決」はかなり有名な話です。

1988年に開催されたカルガリーオリンピック(カナダ)、当時、金メダル候補として挙げられていた選手が二人います。
旧東ドイツのカタリーナ・ヴィットとアメリカのデビー・トーマス。
この二人がオリンピック用に用意したフリーのプログラムに、偶然ビゼーの「カルメン」を選曲しました。
この二人の選曲から、「カルメン対決」と言われています。

カタリーナ・ヴィットは、カルガリーの前のサラエボオリンピックの金メダリスト、デビー・トーマスは、1986年世界選手権の金メダリストと、常に世界トップの座を争ってきた選手です。

初日の規定(コンパルソリー/※)、2日目のショートプログラムを終えて、共に金メダルを狙える順位で最終日フリーを迎えました。

※1990年を最後に廃止となった、当時のフィギュアスケートの初日の競技。
 「フィギュア」とは図形と意味し、指定された図形を氷に描く競技のことを指します。

先に滑ったのはカタリーナ・ヴィット。
途中のトリプル・ループがダブルになったように見られますが、演技自体は芸術性にあふれた見事な演技でした。何より、冒頭と演技終了時の雰囲気、振り付けが個人的には見事かと思います。

カタリーナ・ヴィット(フリー/カルガリーオリンピック)


デビー・トーマスは最終滑走者でした。
「技術」と「芸術」、どちらかと言われると、「技術」が先行した選手で、冒頭にトリプル+トリプルを予定した、当時とすれば、高い技術を組み込んだ演技でしたが、ショートプログラムと比較して、かなり硬い演技となりました。後半のふたつのトリプルジャンプでバランスを崩し、メダルの色を変えてしまったかと思います。

デビー・トーマス(フリー/カルガリーオリンピック)
 

最終的には、カタリーナ・ヴィットが金メダルでオリンピックの二連覇、2位には地元カナダのエリザベス・マンリー、3位にデビー・トーマスという結果になりました。
尚、マンリーを含めた3選手は、オリンピックの翌月に開催された世界選手権においても同じ順位で表彰台に立ち、引退しています。

エリザベス・マンリー(フリー/カルガリーオリンピック)


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